モスクワの思い出を描いていきます。
<< October 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
身内の事故

昨日、アルメニアのアパラン近くに住む親戚が役所へ両親の年金を受け取りに行き、誤って2階から1階に落ち、頭を強く打って救急車で運ばれ、すぐに手術となった。学校の教員を続け良い仕事をし、家もしっかりと管理し、誰にでも優しい人格者だった。父はテラヌシと呼んでいた。お名前が日本語でそれに近い発音だからだ。華奢な女性だが、働き者で芯の強い責任感の強い、頭のよい、誰からも信頼される実直な方だ。連れ合いは電話で、手術の成功率は3%、手術をしなければ朝まで持たないと聞き、打ちひしがれていた。脳は微妙だ。出血が多かったのだろうか。元気な活発な女性が落ちる階段とは想像もつかず、混乱している。その後、エレバンの病院で手術は無事終わり、今は人工呼吸器で、意識も戻らないそうだ。大変なことになってしまった。丁度昨日、ヨーロッパでの国際会議の招待講演ために申請していた連れ合いのパスポートとビザを受け取ったところだ。聖マトローナさま、何とか彼女の命を助けて下さいませ。私は自分の健康に感謝し、絵を描きます。

 

 

 連れ合いは妹を心配し、夏の国際会議の招待講演をキャンセルしてすぐにエレバンに飛んだ。Sさんは月曜は平熱だったが火曜は40度と上がってしまったからだ。

 今朝私は下塗りを一段落した水彩に膠を塗った。以前は1本を煮溶かして、何枚も恐らく5,6枚は塗れたのだが、今年購入した膠「三千本」はA1のアルシュの2度塗りで切れてしまった。水の量を間違えた訳ではない。ハンカチ折りも硬くて困ったし、質が変わったのだろうか。3度塗りたいのでまた乾いたら膠を煮ることにした。夕方、タガンスカヤ通り58番地のマトローナの教会へ行き、心を落ち着けて彼女Sさんのために祈り、薔薇の花を3本捧げた。今日はソルジェニーチン通りから街並みを見ながら静かな教会へ行き、長い行列に並び、涼しい風に吹かれていた。平日の夕方だが1時間半近く列に並び、ロシア人の多いことに驚く。聖マトローナはロシアのお母さんのような存在、皆が報告に訪れるだろうか。バラ園には色とりどりのバラが咲き、白樺の高い梢が揺れ、実をつけたクルミが鬱蒼と葉を広げ、モミ、松等の木々の間を小鳥たちが飛び、スズメやハト、ツグミ、セキレイ、名の分からない多くの野鳥が鳴いている。いつもこのように教会で癒されているのを実感する。今日のモスクワの最低気温+5度。8月とは思えない寒さだ。Sさんの心の籠ったおもてなしを思い出し感謝。早く健康を取り戻し、元のように快活に学校で働けるよう、マトローナ様お守り下さい。

 

 

ありがとうございます。皆様、聖なるマトローナ様。その後、昏睡状態が12日続き、三度眼が明いた、と連れ合いが泣いていた。今後も意識が戻るまで、そして回復するまで、どうぞどうぞお守りください。モスクワのある知人は、術後意識が戻るまで40日要したとのこと。彼のように幸運、強運に恵まれますように。

 絵を続けて、漆三千本の上に油彩を始めた。そして新しく父の顔、ユリのブーケ、11年の津波後の一本松の鉛筆デッサンと水彩に取り掛かった。丁度、お盆が始まり、モスクワでも部屋でラベンダーのロウソクを灯して、馬(金属、縫い包み)を用意し、食事を作って先祖に捧げ、絵の質問をしていると不思議と答を得られるのである。父は先祖はバイカル湖の畔、2500年前はスキタイ・サハというところまで芸術家の直感で突き止めていた。おそらくロシア語が上手いのも、芸術が優れているのも、そういうことなのだろうと納得する。もちろん、別の研究者の立場でも、証明されているようだ。血を大切にしたい、と改めて思う。

 

皆さまに感謝します。その後も少しずつ回復し、まだ、言葉は出ないものの、喉元からの人工呼吸器が外れ、栄養の鼻チューブも無しで経口の食事ができるようになり、昏睡の2,3期も終わり病室も移りマッサージなどが始まった。指先は少し動かすことができるようだが、これからも順調に回復し元の彼女に戻るまで、マトローナ様お守り下さいませ。最初の喜びは、モーツァルトの音楽で目が開かれたという奇跡だった。モーツァルトには生命に働きかける力が存在するのである。ありがとうございます、モーツァルト様。しかし、ご自分の命は守れなかったのですね。もっともっと長く作曲して頂きたかった・・・ この驚きから音楽の聴き方が少し変わったように思う。父と一緒に最後に聴いたのはヒラリー・ハーンのバッハ無伴奏のシャコンヌ、その後モーツァルトをと思ったがダウンロードできずシャコンヌを繰り返した。その後も一週間近く彼女の演奏、諏訪内晶子さんのCD,他を聴き続けた。(体がある間は聴力もある)音楽の内に様々な記憶が交差する。感謝。

 次は言葉だ。今は母音を発音することが出来る。これから連れ合いはエレヴァンへ飛ぶがいったいどうするのだろう。一郎、導いて下さい!

母への手紙

和子さま

こんにちは。モスクワは真夏日が4日もありました。東京も暑いことと思います。しっかり栄養を取って、強く生きて下さい。桃がママの下腹の痛みを心配しています。激痛に見舞われたのでしょうか。ホーヴィックは歩かないとそういうこともあるだろうと言っています。痛いの痛いの飛んで行け! 生活団の時、ママが詩を教えてくれて暗唱した。「病気のロバ、あんよが痛い。お医者さんがやって来て、菜っ葉の膏薬貼ってった」・・・何番もあったから、お腹が痛いというのもあったと思うが、もう忘れてしまった。いつもカタリーナに感謝しています。ホーヴィックもカタリーナがああ言ったこう言ったと思い出しては話題になる。ホーヴィックとカタリーナはよく似ているね(カタリーナは和子さまのことです)。

 

 アトリエを掃除していたら、ママの絵がたくさん出て来た。公募展にも出していたのね。伊藤和子と書かれていた。この手紙に同封の「20世紀の美術」のパンフレットは、ママが好きだった絵でしょ。ママの絵の人物も静物も黒の輪郭が強く、構図がソビエト時代の絵みたいだと気が付いた。ビンや干物の静物はマシュコフ、人物の男性はタトリン、色合いはゴンチャロワ(女性)等・・・。情報が入らなかったころ、追い求め、模索していたのかと思う。パパの個展をやったブルガノフ美術館へ行ったとき、一郎はもしママがここの彫刻を見たら、びっくりしてひっくりかえっちゃうよと言ったのを思い出す。

 桃さん、ママにこういうの好きだったでしょ、と尋ねてみてね。ママは日本の絵とは違う。ママに絵を描く気を起こさせてね!

猛暑と台風の夏を乗り越えよう。

 

そのパンフレットは、トレチャコフ美術館第2の常設展示。もう一つの展示館には、私がロシアで1番好きなイリヤ・レーピンの油彩が3月から8月まで展示されている。サンクト・ペテルブルグにレーピン芸大があり、ロシアで一番よい美大だ。幹はモスクワ大学の修士を卒業したら、レーピン芸大で勉強したいと思っていた。96年度の政府留学生だったが、モス大は奨学金は外人に出さず、学費寮費医療費も免除しなかったので、その資格を使うためだった。が、卒業後こちらの文部省に行ったら、期限は過ぎたと言われ、そのまま博士に進んだのだ。モス大は政府留学生にも学費寮費を払わせ奨学金も出さずに勝手なものだと思う。月々学費を働いて収め、レジストレーションを月々延長しながら卒業した。リボビング払いだと笑われた。しかも今、学部の経理のおばちゃんは無料枠のロシア人にだけ給料を払っている。「あんた、ビルジャ(=無料枠)?」と勝ち誇って。これがロシアだ。

 今は芸術財団にも入れたので美術館は無料になった。本当に有難い。もちろん一郎もアカデミー会員で金メダルを頂き、国宝扱いで無料で入れる。ロシアのよい面だ。芸術家のステイタスが高いのだ。日本では一郎はいつも入場券を買っていた。これが日本だ。

 

それでは、桃さん、ママに絵を見せて説明して下さい。夏を頑張って下さい。ホーヴィックは10、11月に東大と日大へ講義に行く。呼んで下さった方々に感謝しています。ありがとうございました。

 

カタリーナ、また会いましょう。甘ったれた手紙でごめん。  幹 より

早朝のニュース

今朝、雷雨による炎上でシェレメチヴォに戻った旅客機のニュースがあり、死者が1人、13人、41人と増えて行くので怖くなって来た。国内線でスーパージェット、部品は全て輸入品と聞く。座席の足元に荷物を置く人が多いので脱出に邪魔だな、などと状況を想像する。最近、着陸が綺麗でも誰も拍手しないので、ロシアでは当たり前なのかと思っていた。やはり腕はよいのである。ソビエト時代には敵わないだろうが。乗客乗員78名死者41人。ブラックボックスが残っていれば、原因が詳しく分かるのかも知れない。

 

歌手のゴアル・ガスパリャンが生前、旅行中の飛行機内でテロリストが乗り合わせ、機体はインド洋に墜落かという時、サメ対策の注射が300人余りの乗客全員になされた、と聞いた。この薬が血液中にあるとサメは襲わないのである。テロリストとの談判は上手くいきテロには至らなかったそうだ。現在も旅客機に常備されているらしい。

 

ゴアル・ガスパリャンのサヤトノヴァ(you tube を探して添付予定)

 

エヴァのサヤトノヴァ

3.11 8年目

8年前の14時46分 マグニチュード9.0の三陸沖震源の海溝型巨大地震

 

あの衝撃からまだ8年しか経っていないが、自分の内部で風化され10年以上も過去だったように希薄になっていたことに驚く。

亡くなられた方々行方不明の方々、地震関連死者も含めて2万5949人(農林水産省の統計)という恐ろしい被害。ご冥福を祈ります。

 

相変わらずこちら現地のスーパーでは太平洋産の魚の缶詰めだけが常に激安、それ以前の寿司ブームは去り、日本食売り場や日本食のスーパーは消えた。 現実的に人口は減少し外人の受け入れが進み、しかしC.G.の悍ましい私利私欲の不協和音には唖然とする(生粋のフランス人ではなくアラブ系でも、日本人に許されない複数のパスポートを持って悪事の限り。気が狂っているのだろう)。

 

日常の喧騒から離れ、日本を思い、集中して追悼を、眼が見え耳が聴こえ手足を動かせる今、自分に出来ることを使命を私は追求したいのだ。津波の映像からドナルド・キーン教授の言葉を思い出し、尊い多くの命を感じ、思想を純化し、強く生きて生きたいのだ。しかし、流れに任せて、気づけば身近な大切な人々を次々に失っている。時間がない、時間がないと口癖のように仕事(油絵)を徹夜で続けた父、一郎とは似ても似つかぬ私の怠惰は我ながら救いようがない。今年も自分との闘いだ。大学は、論文は、音楽は?ブログが願望で終わらないように。

 

あのスマトラ沖巨大地震(2004.12 マグニチュード9.0)は繰り返された(2012.4 マグニチュード8.6)。今年は何かしら不安がある。富士山もそうだ。無事に年を越せるだろうか。

雑念

昨年からネットを騒がせているC.G.の悪党ぶり。丁度、PCを持って国際会議に出掛けた連れ合いのおかげで約1か月はこの雑念から解放されていた。携帯も壊れネットを気にせず自分のことに集中できたからだ。車も知らないド素人でも、レバノンと言えば人種はアラブ系であることはすぐに分かるし、なぜ会長にと興味津々だった。仏のパスポートがあればフランス人だと思い込むかつての自分も、やっと最近は、身近なところではイスラエル、日本、ロシア、アルメニアと4つのパスポートを持つ知り合いの性格気質、人種等から日本の義務教育とは違う世界を知ることがある。留学当時は現地の月給の最低賃金はわずか15$だったので、当然、外人も同様に駐在に扱われていた。日本人が日本人を、しかも何も分からない子供に使われ、「来たのが悪い」と現地人は言った。日本に学生を送っているが、来たのが悪いとは面と向かって日本で言わないだろう。このように底辺を彷徨って外人同士で助け合い今に至った者としては、Gの逮捕、今回の保釈はかなり気になるのだ。6万人余りをリストラし私腹を肥やし反省の色もないエジプト・コブラを、要所要所でくい止めたのは女性のようだ。米国人女性、日本人女性、そしてS社長の判断はこちらでは間違いなく英雄である。が、コメントには毎度ながらバッシングが続く。この集団心理を携帯の発達した今だから知ることができるが、数十年前は免疫もなく、そのために何度も人生を失った感がある。ネットの情報量(辞書、論文、文庫など)は特に海外では有り難いものだ。大学以降は何でも機密機密で疎外感があり、会社、企業とは何の関係もなかったのだが、今回、末端の日本人にまで内部の問題を開示してくれたS社長の身の安全を願っている。

静かに静かに降りしきる粉雪

今年のお正月は毎日深々と雪が降り積もり、時々、どんよりと垂れ込めた雲が切れると高く崇高な晴れ間を見せる青空の下の、音も色もない街並みを背景にして私の時計は確実に動き始め、父の教えを請いながら芸術活動が少しづつ前進している。住宅の屋根の雪下ろしの労作や大型雪徐車によって大量の雪が大きなトラックで運び去られ(融かすらしい)大通りは見事に整備されて、街灯をピカピカと反射している。ブロクの詩(ペテルブルグの光景だが)を思い出す。街灯が過ぎる。凍り付くような河の波紋・・・ モスクワの方がやや明るいか。

 

リスのピョンカ達に差し入れのヒマワリの種とアーモンドを買って、40分ほど真っ白な世界を行くと、大学内の慰霊碑の炎が揺れ、モミの木梢の向こうにスターリン様式のモス大GZが霞んで見えた。シジュウカラもスズメも元気に飛び、ハトやカラスが餌を探している。この寒さの中、火のように心臓が鼓動しているのだろうか。シジュウカラは経済棟の裏などに60羽ほども見た。創立者の像周りの木立の雪の上には可愛い足跡が残されている。リスだろうか、くるくると遊び回った楽し気な足取りが見える。膝まで雪に潜りながらピョンカのお宿に着く。ピョンカの住処(木の洞)は立派な玄関(木の表皮を剥がし白木になっている)があり、その洞の中に食べ終わったヒマワリの種の殻がたくさん見えた。よかった、元気だ。もちろん、木の皮の下の虫等も食べたんでしょう。リスと小鳥達は仲良く同じ洞に住んでいたりするらしいし。いつものようにヒマワリの種を洞に1kg程入れてやると、さっそくシジュウカラが1粒加えてこちらを見ながら飛んで行った。小鳥でも挨拶があるのだ。驚きだ。数羽で出迎えてくれることもある。「いい子だね」と声をかけながら、冬眠中のピョンカ達にも話しかける。野生動物の頭の良さ、勘の良さは、私の想像を遥かに超えている。

 

しかし、ピョンカのお宿の高い木には最近カラスが2−30羽もとまっていて、辺りの雰囲気が暗いのだ。小鳥やリスを襲うようだ。カラス君にもパン等用意するかな、何かしらあればリスを襲うことはないだろうが、数が多すぎる。リスのお宿から数十メートル離れたモミの木にもピョンカは遊びに来るので、ペットボトルに穴を開けたエサ台を4本葉陰に吊るし、元々の餌台にもたっぷりヒマワリの種を入れて、動物たちの足跡を確かめまた小鳥たちに挨拶していると、不思議と私も明るい楽しい気分になる。しかし、冬は始まったばかり。今後、2月の厳しい冷え込みを小動物たちは乗り越えることができるのだろうか。連れ合いは、この楽しい出会いは一郎が用意してくれたのだろうと言う。ありがとう、一郎!!!

 

昨日、水張りしたアルシュ紙の全紙は、紙が強すぎて破れ、画鋲を20個留め直した。

 

部屋に戻ると、窓の前の大きなポプラの枝に、シジュウカラが! どこかへ消えると、カラスが雪を啄んでいた。

2019年新年

新年、明けましておめでとうございます。

皆様のご健康、ご多幸、新たな発展を心より願っております。

今年も一年、よい年となりますように。

 

 

モスクワで迎える新年も25回目だろうか。多くの知り合い、芸術関係者、大学の研究者、学生たちに守られ道を指し示され、東京以外にも場を与えられたことに感謝し、前進して行ける一年にしたい。モスクワ大学教員も20年、日本での大学教育で得た学術の基礎を伝え、学生にも、取り巻く環境へも還元しながら、家業である代々の芸術を伝え、残して行けるようでありたい。父の遺志を水準を追求し経験し、崇高な絵画に迫って行くことは何よりも私にとり難しいが、毎日絵に向かい問いながら父、一郎の教え、感性に触れ、本質に迫って生きたい、心に響く作品を残せるように、と念じています。

国際数学会議

8月下旬には連れ合いのイニシャチブで国際会議が開かれ、世界のスターとその弟子たち若手数学者がモスクワに集合した。(重複するが)招待講演はF.ガッツォーラ、アイファンテス他、日本からも6名が参加、京大の華奢な女性教授がいらしていて感心した。素晴らしい。日本の最高峰でいらっしゃる。

 

先週はグルジアで開かれた国際会議に連れ合いは招待講演のトップとして招かれ、発表を1週間に5回もこなした。TVの取材もあり、観光も楽しんだよう。出発まで5回分も準備はしていなかったので心配したが、会議中天才扱いだったらしい。

 

大きなハチャプリ2枚をお土産を持って帰ってきてくれた。あちらの写真を見ると、毎日、このチーズのピログを食べ、グルジアの美味しい水を飲み、会食もトップ席で大事にされて満面の笑顔だ。数学仲間の参加者はモスクワにも参加した方が多く、用意周到の今回の会議とモスクワのないないずくしの、しかし世界のスターの集まった最高レベルの学術披露を、皆様どうお感じになられたのかと思う。

 

 

モスクワ大学では講義前に大学内の公園に住むリス達にいつも私は会い、木の実やアーモンド、炒っていないヒマワリの種をたっぷりとあげ、ピョンカ(と名付けて呼んでいる)のアクロバッドやかけっこ、高い枝渡り、ジャンプを見せてもらっている。本当に不思議なくらい頭がよいのだ。記憶力がよく、こちらの感情が分かっているようで、毎回新しい木々を紹介してくれる。不思議の森に入ってリス達の暮らしを見、野鳥たちの会話を聞き、気分も変わるし芸術にまた一歩近づいていくようなのだ。ピョンカとピョン太、黒ちゃんの3匹は家族のようだ。ちょっと大きいシルバーもアーモンドを食べにくる。話しかけると、ちゃんと聞いている。ジェスチャーで伝えてくるのだ。冬用にあちこちの木の根元にドングリ等を埋めておいても場所を忘れちゃうの、などと言っている。こんな可愛い、野生のリスたちとの対話が始まるとは。父も馬と話したことだろう。

国際会議終わる

27-31日の数学国際会議が本日終了した。世界の数学者が集い、水準の高い発表が続く。スポンサーの大問題を抱えたまま開始され生きた心地がしなかったが、会議は終了し明日は各国へと数学者物理学者達は帰途に就くことになる。日本で会議の要員は頻繁にやっていたのだが、全く予期しない問題がロシアでは起こるものだ。スポンサーも経理も参加者の参加費を狙うマフィア(!?)で、会議の破壊を毎日繰り返し、不協和音の中で世界的な数学者達は数学の創造美を奏で確固たる存在感を構築し、現代の崇高と悪の饗宴が日々拡大していった。傍観し感激し、日本からの参加者の英語発表の素晴らしさに驚き(内容は私には分からない)、美と悪の抽象画を描きたくなった。1日目の講演、フィリッポ・ガッツォーラ、メイス、2日目のアイファンテスと天才か怪物か宇宙人かと思ってしまうが、会食では身近に人間性を感じ、聖域を垣間見たような有り難い気分になった。直前に残念ながら脳出血を起こしてしまった天才フィオ教授は訪露できなかったが、彼のグループが素晴らしい発表を行い、その中に日本の女性研究者K教授がいらしていたことも驚きだった。皆様に感謝します。

 

大学院生の一人が自費で見学バスとガイドを予約し、数学者の一人がバンケットを支払い、連れ合いが準備からビザ招待状、招待講演者のホテル、飛行機代、会食まで持って、実現し終了した会議だった。ビザは微妙と言うが実際ビザ係は要人(天才研究者)を捨ててしまうのだが、連れ合いが手続きをしてクリアし出席可能となる。ビザには私情も入るのである。昔、T音楽大学で国際コンクールに参加した知り合いピアニストの話では、本番前の練習室にはピアノがなく、本番中に停電になり暗闇で審査員が帰りはじめ、サーチライトの中で弾き続けたというが、その数年後に3位に入賞なさっていた。プロはすごい。しかしマフィアの悪党ぶりは見たことも聞いたこともなかった。

 

追記 実は3か月後の11月だが、今週この偽スポンサーは連れ合いのグラントを全部横取りし、再三、参加者会費を今週も取ろうとした。ギリシャ人がギリシャで集めたのでモスクワにはない、との説明も疑っているのだ。今回は電話があり、連れ合いの口座に今グラントが入った、と始まった。会計課が漏らすはずはないので、計算した学生が知らせたのだろう。連れ合いの口座は悪党のものか。

 

暮らし向きがなかなか良くならない現地で、私達の苦労は続く。

アムール虎

 

http://www.msn.com/ru-ru/news/other/%d1%87%d0%b5%d1%80%d0%bd%d0%be%d0%b5-%d0%bc%d0%be%d1%80%d0%b5-%d0%b8%d0%b7%d0%bc%d0%b5%d0%bd%d0%b8%d0%bb%d0%be-%d1%86%d0%b2%d0%b5%d1%82/ar-BBCN12A?li=BBoPEwK&ocid=iehp

上は黒海の色が変わったというニュース。

 

5月にタンポポ、桜が咲き始め、次第にレンギョウ、マロニエ、リンゴ、ライラック、コデマリに変わり、花壇にはチューリップ、パンジー、ベゴニア、ダリアなどが咲き乱れていた。特に5月中旬、大学前のロモノソフ像の周りは圧巻で地上の楽園のように見事だった。週末には芸術学校の生徒たちがイーゼルを立ててスターリン様式のGZと手前の木々を油彩で描き込んでいたので、指導者を見つけて聞いてみると、3年制のカレッジの2年生の屋外授業だった。学生20人位が強い日差しの中で頑張っていた。皆さんの画面が小さいのは、毎回、1回の仕上げだそうで、時間内で終えるにはA4サイズでないと間に合わないためらしい。それなら数回にしてA2以上がよさそうだと思いながら、自分も描こうと決めた。が、りんごとライラックの盛りはこの日限りで翌日はハリケーンが来て満開のリンゴの花は散ってしまった。その後、色とりどりのライラックも真っ白なナナカマドも茶色くなり、短い春は一気に終わった。

 

今はトーポリ(ポプラ)が咲き、今週6月18日の快晴から綿毛を盛んに飛ばしている。大学の方も怒号のように試験期に入り、目まぐるしく景色は変化する。肌寒い初夏は毎日雨がちで、梅雨のような天気が続いている。今年は夏が来るのだろうか。例年、8月は秋の趣となる。

 

父が描きたいと1昨年から望んでいるアムール虎、しなやかで美しい。去年はビザの用意ができず呼べなかったが、まずは動物園で1昨年に描き始めているので、今できることはビデオを送ること。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170504-10001778-bbcv-int

今年こそ描きに行きたいと思う。父に見てもらいたいので弟に送り、見せてもらえるよう頼んだ。

 

部屋の朝日の差す窓辺。