昨日、アルメニアのアパラン近くに住む親戚が役所へ両親の年金を受け取りに行き、誤って2階から1階に落ち、頭を強く打って救急車で運ばれ、すぐに手術となった。学校の教員を続け良い仕事をし、家もしっかりと管理し、誰にでも優しい人格者だった。父はテラヌシと呼んでいた。お名前が日本語でそれに近い発音だからだ。華奢な女性だが、働き者で芯の強い責任感の強い、頭のよい、誰からも信頼される実直な方だ。連れ合いは電話で、手術の成功率は3%、手術をしなければ朝まで持たないと聞き、打ちひしがれていた。脳は微妙だ。出血が多かったのだろうか。元気な活発な女性が落ちる階段とは想像もつかず、混乱している。その後、エレバンの病院で手術は無事終わり、今は人工呼吸器で、意識も戻らないそうだ。大変なことになってしまった。丁度昨日、ヨーロッパでの国際会議の招待講演ために申請していた連れ合いのパスポートとビザを受け取ったところだ。聖マトローナさま、何とか彼女の命を助けて下さいませ。私は自分の健康に感謝し、絵を描きます。
連れ合いは妹を心配し、夏の国際会議の招待講演をキャンセルしてすぐにエレバンに飛んだ。Sさんは月曜は平熱だったが火曜は40度と上がってしまったからだ。
今朝私は下塗りを一段落した水彩に膠を塗った。以前は1本を煮溶かして、何枚も恐らく5,6枚は塗れたのだが、今年購入した膠「三千本」はA1のアルシュの2度塗りで切れてしまった。水の量を間違えた訳ではない。ハンカチ折りも硬くて困ったし、質が変わったのだろうか。3度塗りたいのでまた乾いたら膠を煮ることにした。夕方、タガンスカヤ通り58番地のマトローナの教会へ行き、心を落ち着けて彼女Sさんのために祈り、薔薇の花を3本捧げた。今日はソルジェニーチン通りから街並みを見ながら静かな教会へ行き、長い行列に並び、涼しい風に吹かれていた。平日の夕方だが1時間半近く列に並び、ロシア人の多いことに驚く。聖マトローナはロシアのお母さんのような存在、皆が報告に訪れるだろうか。バラ園には色とりどりのバラが咲き、白樺の高い梢が揺れ、実をつけたクルミが鬱蒼と葉を広げ、モミ、松等の木々の間を小鳥たちが飛び、スズメやハト、ツグミ、セキレイ、名の分からない多くの野鳥が鳴いている。いつもこのように教会で癒されているのを実感する。今日のモスクワの最低気温+5度。8月とは思えない寒さだ。Sさんの心の籠ったおもてなしを思い出し感謝。早く健康を取り戻し、元のように快活に学校で働けるよう、マトローナ様お守り下さい。
ありがとうございます。皆様、聖なるマトローナ様。その後、昏睡状態が12日続き、三度眼が明いた、と連れ合いが泣いていた。今後も意識が戻るまで、そして回復するまで、どうぞどうぞお守りください。モスクワのある知人は、術後意識が戻るまで40日要したとのこと。彼のように幸運、強運に恵まれますように。
絵を続けて、漆三千本の上に油彩を始めた。そして新しく父の顔、ユリのブーケ、11年の津波後の一本松の鉛筆デッサンと水彩に取り掛かった。丁度、お盆が始まり、モスクワでも部屋でラベンダーのロウソクを灯して、馬(金属、縫い包み)を用意し、食事を作って先祖に捧げ、絵の質問をしていると不思議と答を得られるのである。父は先祖はバイカル湖の畔、2500年前はスキタイ・サハというところまで芸術家の直感で突き止めていた。おそらくロシア語が上手いのも、芸術が優れているのも、そういうことなのだろうと納得する。もちろん、別の研究者の立場でも、証明されているようだ。血を大切にしたい、と改めて思う。
皆さまに感謝します。その後も少しずつ回復し、まだ、言葉は出ないものの、喉元からの人工呼吸器が外れ、栄養の鼻チューブも無しで経口の食事ができるようになり、昏睡の2,3期も終わり病室も移りマッサージなどが始まった。指先は少し動かすことができるようだが、これからも順調に回復し元の彼女に戻るまで、マトローナ様お守り下さいませ。最初の喜びは、モーツァルトの音楽で目が開かれたという奇跡だった。モーツァルトには生命に働きかける力が存在するのである。ありがとうございます、モーツァルト様。しかし、ご自分の命は守れなかったのですね。もっともっと長く作曲して頂きたかった・・・ この驚きから音楽の聴き方が少し変わったように思う。父と一緒に最後に聴いたのはヒラリー・ハーンのバッハ無伴奏のシャコンヌ、その後モーツァルトをと思ったがダウンロードできずシャコンヌを繰り返した。その後も一週間近く彼女の演奏、諏訪内晶子さんのCD,他を聴き続けた。(体がある間は聴力もある)音楽の内に様々な記憶が交差する。感謝。
次は言葉だ。今は母音を発音することが出来る。これから連れ合いはエレヴァンへ飛ぶがいったいどうするのだろう。一郎、導いて下さい!


